写真説明:関東大震災で海に沈んだとみられる旧根府川駅ホームの一部(2023年7月22日、小田原市根府川で)=根府川ダイビングサービス提供
爪痕から学ぶ…関東大震災 世紀の教訓①
1923年9月1日、相模湾北西部を震源としたM(マグニチュード)7・9の大地震は、県内で3万人超の死者、行方不明者を出した。各地に残る被災者の記憶、遺構、慰霊碑は大きな爪痕を今に伝える。何を学び、どう生かしていくかを考える。
裏山が崩れて列車もろとも海に
「大きな震災被害の歴史を学び、未来の防災につなげていきたい」
小田原市の「根府川ダイビングサービス」代表の高橋監二さんは、関東大震災で相模湾に沈んだ旧国鉄駅舎を海中遺構として調査し、減災教育への活用にも力を入れる。
震災当日、根府川駅は真鶴行き列車がホームに進入したところ、裏山が崩れて列車もろとも45mほど下の海に転落。乗客や鉄道職員ら130人以上が犠牲となった震災最大の列車事故が教訓となっている――。
海中に残るホームの残骸
高橋さんが主催するダイビング講習会の参加者は、現在の根府川駅にある「関東大震災殉難碑」などを巡って犠牲者を追悼し、遺構に触れないように注意を受けてから現場に潜る。水深5~14m地点で、300~400mの範囲にわたってホームの残骸、レールとみられる金属部品を見学できる。参加者からは「崖崩れの被害の恐ろしさを肌に感じられた」「駅がここまで流されるとは驚きだ」といった声が上がる。
3.11でのダイバー仲間の活動が刺激に
横浜市出身の高橋さん自身も小田原市に移り住むまで、根府川の被害について聞いたことがなく、県内でも知られていないと感じていた。2011年3月の東日本大震災で、東北各地で尽力したダイバー仲間のボランティア活動を知り、自分も何かしたいと考えた。「大地震はいつ起きるか分からない。防災意識を高める役割を担いたい」
写真説明:遺構のポイントを確認する高橋さん(左)と林原さん(2023年7月27日、小田原市根府川で)
根府川駅遺構、学術調査も本格化
海底に沈んだ根府川駅の遺構は、学術的な研究も2023年から本格化している。東京海洋大学非常勤講師(水中考古学)の林原利明さんは「目に見えて残る災害遺構は貴重。概要をつかみ、地図の作成から取り組みたい」と力を込める。
2023年5月の調査では、石材が2段積まれているホームの遺構は高さ60cm前後だった当時に近い状態で残され、跨線(こせん)橋の基礎部とみられる構造物もあることが分かったという。現在はホーム状の遺構だけで数十件が確認され、他にも列車の車輪や連結器などが見つかる可能性もある。ただ、当時の設計図や震災前の映像を入手し、比較していくことが課題という。
写真説明:関東大震災後間もない頃の根府川駅付近(内田昭光さん所蔵)
将来的には、災害の実態を伝える「海底メモリアルパーク」の整備につなげたい考えもある。林原さんは「人の記憶は薄れる。未来のために、過去から学び続けるしかない」。この夏も調査のために海へ潜った。
「山津波」の記憶 後世に
400人以上が亡くなった根府川地区。地震で白糸川上流の大洞山が崩れ、土砂が「山津波」となって襲った。当時10歳だった内田一正さん(1998年に84歳で死去)は「山が来た、山が来た」と叫びながら家族と一緒に高台へ逃げたと記録している。土砂はkmほどの距離を時速70kmで流れたとされ、自宅はあっという間に赤土に埋まった。
郷土史家として調査を続けた父
内田さんはミカン農家として働きながら、独自調査を続ける郷土史家でもあった。作成した被災状況の地図や資料によると、根府川駅付近では地滑りが起こった。駅のホームが海底に沈み、トンネルを通過中の東京行き列車の機関車が土砂にのまれたことなども詳しく記されている。
写真説明:父の内田一正さんが残した地図で災害の状況を説明する長男の昭光さん(2023年7月、小田原市根府川で)
父の言葉を長男が語り継ぐ
今、内田さんの残した記憶は、受け継いだ長男の昭光さんが伝えている。「本震と余震の間に次の行動を考える必要がある。生命を守るため、その5分間が重要だ」というのが、父の言葉だ。
土砂災害、斜面崩落の事故が増えるなか、根府川の歴史も改めて注目される。「自分で自分を守らなくてはいけない」。父が残した資料を活用し、これからも地元の学校などで発信していくつもりだ。
(読売新聞 2023年8月29日掲載 川崎支局・中山知香)
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