写真説明:関東大震災後、現在の横浜市鶴見区周辺で鉄道施設の復旧作業にあたる軍隊(東京都復興記念館所蔵)
爪痕から学ぶ…関東大震災 世紀の教訓⑥
震災時、44万人超が暮らしていた横浜市では、2万6623人が犠牲になったとされる。家屋の密集地帯で大規模火災が発生し、最前線で対応にあたるはずの警察や消防が機能不全に陥り、17人に1人が亡くなったとの推計だ。支援のために軍が現地入りしたのは2日後で、横浜都市発展記念館主任調査研究員の吉田律人さんは「軍隊による災害対応はあまり知られていない。自衛隊の派遣が一般的となった今、過去に学んでおくべきだ」と指摘する。
警察も派出所も焼き尽くされた
神奈川県警高等課長だった西坂勝人氏が記した「神奈川県下の大震火災と警察」(1926年)では、被災地の混乱や惨状を伝えている。
<焼残りの金庫漁りはまだしものこと、税関倉庫には幾千の罹災民が押寄せて、手当り次第に掠奪する(中略)県庁は素より警察も派出所も焼き尽され、警察官にも多大の死傷がある、如何に最善を尽しても平時の巡査では救護は勿論治安の維持は満足に行はれない>
徒歩で陸軍省に救援要請
神奈川県は発生直後に救援要請を判断したが、通信、交通網、水道などの社会基盤も寸断され、西坂氏らが徒歩で東京の陸軍省へ向かい、実際に要請できたのは翌日となった。それでも3日午前11時、約束の120人規模の軍隊が横浜に入ると、被災者たちは涙を流して喜んだという。
全国から部隊が駆けつけた
<軍隊来る…軍隊来る…の声が如何に県下罹災民に、心強く感ぜしめたるかは、蓋し彼の震災に直面せる人々の記憶に新たなる事であろう――>
全国から駆けつけた軍の部隊は救援物資の供給、社会基盤の復旧を同時並行で進めた。鉄道や橋の修復などにも尽力し、住民の精神的支えともなった。
広域的な出動は想定外、横浜は始動遅れ
軍による災害時の活動は関東大震災前から制度化されていた。ただ、広域的な出動を想定していなかったため、実動部隊が配置されていなかった横浜では始動が遅れた経緯もある。吉田さんは「軍の災害広域派遣の仕組みがつくられる転換点になった」とみる。
東日本大震災に出動した自衛隊
陸自トップの即時決断
「この先、首都直下地震も想定される。『自分だったらこうする』と日頃から考えておくべきだ」
2011年3月の東日本大震災時、陸上自衛隊トップの陸幕長だった火箱芳文さん(72)はそう強調する。
火箱さんは東日本大震災発生直後、防衛相の命令が出る前に独断で各方面隊に東北への派遣を指示した。「一秒でも早く、被災地へ行かせることが重要と思った」と振り返る。
阪神大震災の苦い経験
即時決断の理由は、初動の遅れで多くの命を救えなかった阪神・淡路大震災の苦い思いがあったからだ。当時は自衛隊が災害現場へ赴くこと自体が忌避される風潮もあり、被災自治体の首長の要請を待ったことが原因の一つだったという。「教訓を生かし、様々な状況を想定したうえで、日頃の訓練や派遣計画づくりに取り組む必要がある」と言う。
写真説明:2019年の台風19号で復旧活動に尽力する自衛隊員ら(相模原市で)=東部方面混成団提供
コロナ感染者の搬送や台風被災地での活動も
自衛隊の災害派遣については、「自衛隊法83条」で都道府県知事の要請による派遣と、要請を待つ時間がない緊急時の「自主派遣」が定められている。
県内を災害派遣の管轄地域に持つ東部方面混成団などによると、近年では2020年に新型コロナウイルス感染者の搬送を担ったほか、2019年の「台風19号」では相模原市や清川村で活動を展開。大規模災害や有事に第一線に派遣される非常勤の即応予備自衛官も、現地で停電解消のために倒木や土砂を除去したり、土のうを積んで道路を復旧したりと尽力した。
自衛隊に期待される活動の幅は広がっており、神奈川県危機管理防災課の能戸一憲課長は「厳しい災害現場で、行方不明者の救出救助などでとても頼りになる存在。引き続き連携を深めたい」と話している。
■最近の自衛隊による神奈川県内への主な派遣
時期 | 理由 | 場所 | 派遣部隊 | 人数 |
2020年4月1日 ~5月31日 |
新型コロナ | 県庁 | 東部方面混成団 | 10 |
2019年10月13日 ~11月13日 |
台風19号 | 相模原市、清川村 | 第31普通科連隊、第4施設群、第1高射特科大隊 | 1441 |
2019年9月10日 ~9月13日 |
台風15号 | 鎌倉市 | 第31普通科連隊、第4施設群 | 340 |
※東部方面混成団への取材を基に作成
(読売新聞 2023年9月5日掲載 横浜支局・阿部華子)
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