国土技術研究センター理事長 徳山日出男さんインタビュー
「まずはきちんと自宅の家具や家電を固定してほしい」と訴える徳山さん
首都直下地震は30年以内に70%の確率で発生
今年9月1日は、関東大震災からちょうど100年。首都直下地震が30年以内に70%の確率で起きるとされる今、100年前の教訓をどう生かせばよいのでしょうか。2011年の東日本大震災発生時に国土交通省東北地方整備局長として震災対応にあたり、ライフワークとして災害への備えを呼びかけている徳山日出男さん(国土技術研究センター理事長)に話を聞きました。
死者の9割が焼死だった関東大震災 大きな揺れによる被害も
――関東大震災は、一般には「大規模火災で多くの人が亡くなった」という印象が強いかと思いますが、実際にはどういう災害だったのでしょうか。
関東大震災は、相模トラフで起きたマグニチュード(M)8の海溝型の大地震です。非常に大きな揺れに加え、山間部では土砂災害、伊豆半島東岸から房総半島沿岸まで広範に津波に襲われました。
土曜日の昼時、耐震性の弱い木造住宅、強い風…。悪条件重なる
現在の東京都墨田区にあった、陸軍被服廠跡では、近隣の多くの住人が大八車に家財道具を積んで避難しました。そこに火災旋風が起き、約4万人が命を落としたとされます。横浜などでも多くの火災が発生しました。当時の家屋は耐震性の低い木造で、主に炭を使って調理をしていました。地震が起こったのは、多くの家で昼食の準備をしていた土曜日の正午近く。炭火の上に木の家が倒れ込み、火災が同時多発的に発生しました。さらに、台風の影響で風が強かったという悪条件も重なりました。
「地震だ、火を消せ!」今はNG
――昔は、「地震だ、火を消せ!」とよく言われていましたね。
今では逆に、地震が起こった時、火を消しに台所に行ってはいけない、と言われています。揚げ物の油や熱湯が人にかかってやけどをしたら大変ですから。
震災は、地震の規模や種類、起きた場所や時間、時代背景や暮らし方によって、被害の様相が全く異なります。同じ「大震災」といっても、阪神・淡路大震災では、家屋や家具などが倒壊して下敷きになった圧死が約8割、東日本大震災は津波による溺死が9割超です。
首都圏を次に襲うのは、都市の真下の活断層で起きるM7クラス?
――次に首都圏で起きる震災は、どういう災害になる可能性が高いのでしょうか。
関東大震災は、相模トラフで、海側のフィリピン海プレートが毎年何cmかずつ陸側のプレートの下に沈み込み、その歪みが蓄積して、ある日ドカンと弾けるタイプの大地震です。ひずみが溜まるのには、200年前後の時間がかかると言われています。首都圏が関東大震災以前にM8クラスに襲われたのは、その220年前、江戸時代の元禄地震(1703年)ですから、絶対とは言えませんが、相模トラフでの海溝型地震はまだ起きないと思われます。近く起きそうなのは、首都直下の活断層で起きるM7クラス、ちょうど阪神・淡路大震災と同じタイプのものと言われています。
政府のシナリオは仮想 イメージ固定せずに
――政府の想定では、品川区と大田区の境あたりを震源とするM7クラスの「都心南部直下地震」が冬の夕方に起きた場合、死者数2万3000人、建物の全壊・全焼が61万棟に上るとされていますね。
想定はあくまでも一つのシナリオであって、そういう形で起きるのが確実なわけではありません。ですから、一つのシナリオだけをイメージするのは、いいことではないと思います。
画像説明:東日本大震災での経験を振り返る徳山さん
東日本大震災は海溝型で、「初期微動」がありました。揺れ始めて徐々に大きくなったので、倒れそうなものから離れる時間的余裕がありました。そのため、物の下敷きになるということが意外に少なかったのです。
直下型の揺れはせいぜい20秒
一方で、直下型の場合、揺れるのはせいぜい20秒です。阪神・淡路では、8秒目にものすごく大きな地震の加速度が発生して、その瞬間に家が倒壊したり、タンスが倒れたり、テレビが横に飛んだりして、人々がその下敷きになりました。
ですから、次に起こるであろう首都直下地震対策として、絶対にやらなくてはならないことは、家具をきちんと固定することです。特に、寝室とか居間とか、主に生活している場所の家具や家電を留めてくださいと、国民に一番言わなければなりません。
画像説明:阪神・淡路大震災で古い木造家屋が倒壊、屋根が落ちて通りをふさいだ(神戸市灘区、1997年1月17日撮影)
「すべて固定」はわずか3%
内閣府が2022年に行った調査では、「家具・家電などを固定し、転倒・落下・移動を防止している」と答えた人は35.9%。そのうち、「ほぼ全て」を固定している人は、8.9%でした。全体からすると、わずか3%の人しかちゃんと固定していないということです。
地震で命を守るのは「自助」
「自助・共助・公助」とよく言われますが、災害で命を守るということで言うと、圧倒的に「自助」が重要だと思います。直下地震で生きるか死ぬかは、最初の20秒で決まります。命があっても、骨折などのけがをしたら、すぐには治療を受けられなくて大変なことになるので、とにかく、最初の20秒間を、大きなけがなく生き延びてもらうことが必須です。
地震の後、3日間ぐらいは火災も起こるかもしれません。その2段階の危機を自助で乗り越えてもらえれば、助かった命をつなぐとか、生活再建、復興は、公助が支援してくれます。
――100年前と今とを比べると、災害の被害が軽減される要素と、被害が拡大する要素とがあると思いますが。
まず、「関東大震災100年」ということで報道も増え、防災について考える機会が増えているのはとてもよいことだと思います。
高まった住宅耐震性
そして、100年前の熱源は炭火でしたが、今はガスか電気です。ガスは、自分で止めに行かなくても、ガス会社で地震を検知して供給を止めてくれます。ですから100年前のような火災にはなりにくいと思います。また、当時は住宅がたくさん倒れましたが、現在では耐震性は相当高まっています。
地盤の悪い密集市街地、高速交通に注意
――では現代の課題は?
地盤が悪くて、昔はあまり人が住んでいなかったような場所が、後発で密集市街地になっているケースも多いため要注意です。そういう土地は、周辺の土地に比べて揺れやすかったりします。
まず一度、家族で防災について話をして、自治体が出しているハザードマップを見たり、自分の家が建つ場所が昔はどういう土地だったのかなどを調べてみたりしてほしいです。
あとは交通機関です。新幹線など高速交通が走っている時に、直下型の地震が起きたらどうなるのか。それがとても恐ろしいですね。
また、当時はなかったいろいろな施設が、被害を拡大させてしまう可能性があります。東日本大震災でも、気仙沼で、港にあった漁船用の重油タンクが流されて油に火がつき、大火災になりました。ガスのタンクとか、原子力発電所とかもそうですよね。生活を便利にするための施設が、大地震が起きた時、二次被害を及ぼす恐れがあるということだと思います。
写真説明:東日本大震災の後、陸前高田市で行方不明者を捜索する自衛隊の隊員たち(2011年3月12日)
「何が起こるのか」しっかり考えて備えて
――そうした課題については、どう対応するべきだと思われますか。
やっぱり、災害によって何が起こるのかを想像して、「きちんと備えておく」ことが大事だと思います。後になって考えると、「これぐらいのこと、どうして気がつかなかったんだろう」ということは多いです。
例えば、福島第一原発は、津波が来るかもしれないとわかっていたのに、非常用電源を下に置いていましたし、漁船の重油も、港にあるのをみんなわかっていたけれどそのままにしていたわけです。
画像説明:東日本大震災遺構として保存が決まった市立大川小学校の旧校舎。震災の津波で多くの児童と教職員に犠牲者を出し、壁や渡り廊下を破損した(宮城県石巻市で、2016年3月21日撮影)
大川小学校で子どもを亡くした元教諭の思い
宮城県石巻市の大川小学校でお子さんを亡くされた佐藤敏郎さんが語り部活動をされていて、話を聞いたことがあります。
震災当時、佐藤さんが教員を務めていた中学校の避難計画では、まず全校に校内放送で危険を呼びかけ、校舎と体育館の間の通路を通って裏山に逃げるとなっていたそうです。ところが、いざ地震が起きて、計画通りにやろうとしたら、停電のため全校放送なんかできなかった。校舎と体育館の間の通路は、ガラス片がめちゃくちゃに落ちていてとても通れない。
でも、その二つって、ちょっと考えればわかるんですよ、って佐藤先生が言われたのがとても印象に残っています。危険な状況でも「自分は大丈夫」と考える「正常性バイアス」のせいで、実は本気で考えていなかった、ということだと思うんです。
「備えていたことしか役に立たなかった 備えていただけでは十分でなかった」
仙台で東日本大震災を経験した後、教訓集をまとめました。その表紙の扉に、こういう言葉を書きました。「備えていたことしか、役には立たなかった 備えていただけでは、十分ではなかった」と。備えずにうまくいったことは一つもありませんが、想定外が起きることも事前に考えておかなくてはならない。
画像:「東日本大震災の実体験に基づく災害初動期指揮心得」の書影
一人でも多くの人が、想像力を膨らませて、ちゃんと考えて備えてくれることを心から願っています。
無断転載禁止