関東大震災99年!犠牲者10万人超から学ぶべきことを歴史家に聞く

中央防災会議で報告書をまとめた鈴木淳東大教授へのインタビュー

首都圏に壊滅的な被害をもたらし、死者・行方不明者は10万人を超えた関東大震災から99年。建物の耐震化や防災対策、避難や救護体制の整備はこの間、格段に進んだが、一方で99年前にはなかった新たな問題も多い。政府の中央防災会議の専門調査会で震災に関して報告書をまとめた鈴木淳・東京大学教授(社会経済史=写真)にいま震災から学ぶべきことを聞いた。

ポイントは被害の全体像を把握する難しさ

鈴木教授は、組織的な対応の遅れ、最新の防災設備・技術への過信、そして情報収集の遅れによって被害の全体像の把握に遅れがあったと指摘する。

全体像を把握することが遅れたことにより、最も被害が甚大だった江東地区が災害支援の“空白地帯”になってしまう結果を招いた。鈴木教授へのインタビューを以下にまとめた。震災で起きたことについては、こちらでもまとめたので、合わせてお読みいただきたい。

なぜ関東大震災で火災がこれほどまでに広がったのか

本震とそれによって起きた火災のこと

関東大震災をもたらした本震は1923年9月1日の午前11時58分に発生したが、震源が異なる2つの余震が連続して発生したとされ、東京は長い間揺れが続いた。地震が発生した正午前は、昼食の準備で多くの家のかまどに火が入っていた。

当日の風速は10m近くあり、火災拡大につながる悪条件がそろっていた。まだ耐震化されていなかった木造住宅が火の始末をするより前に倒壊し、同時多発的に火災が発生した。地震発生後30分以内に東京市内136か所で出火し、飛び火による発火が240か所に及んだという。東京の火災が鎮火したのは3日午前10時30分。東京市の面積の43%が焼け野原になった。10万人を超える死者の大半は焼死者だった。

写真説明:震災による東京市の焼失地域(「帝都大震火災系統地図」東京都立図書館蔵)

 

写真説明:京橋及新橋方面の焼跡(「悲しき思い出の東京大震災實況」東京都立図書館蔵)

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