関東大震災99年!犠牲者10万人超から学ぶべきことを歴史家に聞く

写真説明:銀座通りの惨状(「未曾有大悲惨事帝都震災實況」東京都立図書館蔵)

死者は隅田川の東側で多かった

隅田川の東側と西側で死者と負傷者の比率を比べると、東側の死者が多いことがわかる。特に本所区、深川区(現在の墨田区南部、江東区北西部)など江東地区は、ほぼ全域が焼き尽くされた。本所区の陸軍被服廠(しょう)跡は1日夕に火災旋風に襲われ、1か所で3万8000人が亡くなった。震災の死者の8割以上が隅田川の東側の江東地区、当時の本所・深川両区に集中している。

写真説明:震災による東京市の焼失地域(「帝都大震火災系統地図」東京都立図書館蔵)

消防・防災の最新設備は機能しなかった

大火を招いた要因のひとつに、消火用水が確保できなかったことがある。東京では当時、水道網の整備が進み、警視庁消防部は水道網を使って消防装備を近代化していた。消防組には人力で取水・放水を行う手動式ポンプがあった。警視庁消防部には蒸気で動かすポンプが配備されていた。だが、手動式ポンプは動かすのに人手が必要で、蒸気ポンプは稼働に時間がかかる。そこで、火災現場に早く到着でき、ガソリン動力を使って大量の水を取り込んで放水できるポンプ自動車に切り替えられていた。

しかし、関東大震災では水道網が破壊され、消火栓から肝心の消火用水が出なかった。東京市は、多摩川から取り込んだ水を新宿の淀橋浄水場でろ過して市内全域に水道水を送っていたが、多摩川の取水口と浄水場をつなぐ水路が地震で不通となり、予備の水路も取水ポンプの停電で使えなくなった。浄水場内には数日分の貯水があったが、浄水場から各地への送水管が破断し、東京の水道網は地震直後にほぼ壊滅してしまった。

写真説明:骨組みを残して焼失した永代橋(『東京震災録』東京都立図書館蔵)

特に隅田川東側への送水管の多くは隅田川にかかる橋の焼失とともに崩落し、江東地区の水道管は全く機能しなかった。関東大震災以降、消火栓より貯水槽の整備が進んだのは、この時の教訓によるものだ。

病院車両は灰、電信・電話機能も不通

最新の設備が動かなかった例は、ほかにもある。品川区大崎にあった陸軍衛生材料廠には、患者の運搬、外科病院、レントゲン検査などの装置を積んだ“野戦病院車”が100両以上格納されていた。だが、地震で倉庫の薬品が発火して衛生材料廠の倉庫が焼け、9割以上の車両が出動する前に灰になった。軍や警察は情報の伝達を電信・電話に依存していたが、すべて不通となり、組織的な災害支援体制がなかなか整わなかった。

近代的な設備や技術を入れても、それだけでは備えをしたことにはならない。想定外の出来事が起きた時の手立てを考えておく必要がある。

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