災害時の「食のリーダー」になれる!日本食育防災士とは

災害時に食で困ることがないように


画像提供:一般社団法人日本食育HEDカレッジ

日本食育防災士は「災害時の食のリーダー」として、避難所設営をはじめ、食料物資を分配したり、炊き出しを行ったりなど、地域のリーダーと協力しながら食料班のプロとして活動をする役割を担います。

私は「大規模災害が起きたとき、一人でも多くの人が食で困ることがないように」という想いから、日本食育防災士を育成するカレッジを設立しました。

熊本地震で病院からのSOS…

カレッジを設立するきっかけになったのは、2016年に起こった熊本地震です。
私は当時、「食の安心、安全、おいしさ、楽しさ」を広める食育普及活動に取り組んでいました。食に興味がない人も楽しんでもらえるよう、各地で食にまつわるさまざまなイベントを企画、開催していました。

そんな中で発生した熊本地震で、病院に勤務している知り合いから「物資が足りない」と連絡がありました。スタッフや患者、避難者を含む400名が病院内に待機している状況で、自家発電も尽きそうとのこと。すぐに埼玉県のレスキュー隊へお願いして、2tトラックに支援物資を積んで現地へ向かってもらいました。

しかし想像以上に道路の状況が悪く、2tという車両では病院までたどり着けなかったのです。積んであった食料はすべて、ほかの避難所へ届けられました。

支援物資が届いていないと知ったのは、数日経ってから。スーパーやコンビニの棚が空っぽな写真と共に、「買えるものがない」と悲痛な声が送られてきました。私は鹿児島県出身なので急いで東京から実家へ帰り、友人や仲間たちに声掛けをして物資を集めることにしました。

かき集めた支援物資

しかし鹿児島に帰ってわかったことは、鹿児島のスーパーやホームセンターなどでも商品が品薄になっていたことです。携帯の充電器や女性の生理用品、赤ちゃん用のミルクやオムツなど、消耗品はほとんど売り切れ状態。そしていちばん入手困難だったのが水です。飲料を扱う専門会社ですら飲料が一本もない状態でした。

実家に続々と集まった物資は、各個人それぞれが自宅にあったものを持ち寄る、いわゆるお裾わけでした。水、赤ちゃんのミルクやオムツなど、備えておいたものではなく、普段使っているものから少しずつ分けてもらう状況でした。
鹿児島県も地震の被害がなかったわけではありません。余震も続き、いつ同じ状況になるかわからない生活の中で、自分の持ち物を分ける行動には胸を打つものがありました。

それらの物資は1tトラックで無事に病院まで届けることができ、その病院から必要なところへ配布してもらうことができました。改めて日常的に使うものや水など、普段から少し多めに買っておかなければと意識した瞬間です。

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