一瞬でがれきの街、あばら骨が飛び出した…鳥取大地震、生存者の証言

写真説明:家々が倒壊し瓦が散乱した鳥取市街の様子=鳥取県立公文書館所蔵(とっとりデジタルコレクションより)

伝える 鳥取大地震80年(上)

1210人もの犠牲者を出した1943年9月10日の鳥取大地震から2023年で80年となる。体験者の証言や専門家による分析から、災害の記憶を未来に伝え、防災につなげるためのヒントを探る。

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激しい揺れ、階段の下敷きに

「ドンと突き上げられて激しい揺れに襲われました。階段を2、3段下りた時、その階段がぐーっと倒れて下敷きになったんです」
小学6年の時、鳥取市元町の自宅2階で地震に遭った元小学校長の清末忠人さん(91)は振り返る。
清末さんは意識を失った状態で救出され、病院に運び込まれたが、あばら骨が飛び出ていて、家族は医師から「もうどうしようもない。連れて帰りなさい」と言われた。家族の知らない間に死亡届まで出されたが、地震の2日後、全壊した自宅横に張ったテントの中で奇跡的に意識を取り戻した。

教室の机に並んだ花瓶

1か月の療養を経て学校に行くと、教室の机の上には花の入った花瓶が点々と置かれていた。「僕も同じようになっていたかもしれない。何とも言えなかったですね」

写真説明:鳥取大地震の翌年に発行された報告書を読みながら当時の被害を説明する清末さん(鳥取市元町で)

犠牲者の多くは「圧死」

旧鳥取市では5割超が全半壊

鳥取大地震では、家屋の全半壊率は旧鳥取市で5割を超え、犠牲者の多くは家の倒壊による圧死だった。当時の鳥取市街は木造家屋が多く、大正時代までの度重なる水害で基礎が弱っていたとも言われる。発災は夕方。夕飯や風呂の支度で火を使う時間帯だったため、各地で火災が起き、火事で命を落とした人もいた。

弟を捜しに

「一瞬にして周りががれきの街になった。あの凄惨(せいさん)な状態は、体験した者じゃないとわからんでしょう」と語るのは、当時旧制中学1年だった元林野庁職員、溝口博さん(92)。鳥取市吉方町の自宅は全壊したが、手水鉢(ちょうずばち)とひさしの隙間にいて無事だった。

利発な弟が…

揺れが収まると、遊びに出ていた弟(当時6歳)を捜すため、はだしでがれきの街を歩き回った。小学校の校庭では、多くのけがをした人や遺体を見た。
弟は約1か月後、近所の路地で倒れた建物の下敷きになっているのが見つかった。川遊びから帰る途中だった。「利発な弟で、出かける前に僕の勉強部屋にコッペパンを持ってきてくれた。見つかるまで35日かかったんだから、いかに地震の被害が大変なものだったか」

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