岩手・遠野市の知識資産 3・11で実践した後方支援の価値

「遠野モデル」の記録集めた資料館拡充

2011年の東日本大震災の直後、津波で孤立した沿岸部の支援拠点となった岩手県遠野市は「後方支援」の重要性を語り継いでいる。内陸部に位置する同市は、救援要請を待たずに物資を送り、自衛隊やボランティアの活動拠点として施設を開放した。当時の記録を集めた「遠野市後方支援資料館」を2021年3月に拡充、「遠野モデル」と呼ばれる災害支援のノウハウの発信を強化している。

発生11時間後 未明の災害対策本部で…

<3/12 1:39 大槌高校500人 毛布、灯油、水、食料→不足>

資料館に展示されている模造紙(=写真)には、震災の11時間後に届いた情報が黒のサインペンで書かれている。市が後方支援に乗り出すきっかけとなったSOSだ。

情報を伝えた男性は、約60km離れた岩手県大槌町から車で峠を二つ越えて、市の災害対策本部に駆け込んできた。デジタルカメラには想像を超える惨状が収められていた。早朝、食料や毛布などを積んだ車が現地に向かうと、支援が本格化した。

市長が震災の14分後に指示したこと

一方、本田敏秋市長は震災の14分後、「自衛隊などが遠野に集まるはず」と、遠野運動公園の開放を指示した。夕方には、岩手県警や陸上自衛隊などが公園に集まっていた。

写真説明:自衛隊が野営テントを連ねた遠野運動公園(2011年3月25日)=遠野市提供

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