東日本大震災では火葬が追いつかなかった
2011年の東日本大震災は、「想定外」にどう対応したかが問われた災害だった。過去の災害で得られた教訓を生かし切れなかったケースもあった。津波犠牲者の弔いを巡る混乱は、備えることや伝えることの大切さを教えてくれる。
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火葬率ほぼ100%の日本で土葬が行われた
震災から3週間ほどたった2011年4月上旬、宮城県石巻市の広場。火葬率がほぼ100%の日本で土葬が行われた。深さ2mの地中に棺(ひつぎ)が並べられ、遺族らが泣きながら土をかぶせた。その数は、宮城県の6市町で2108体。調整にあたった県職員、武者光明さんは「『冷たい水の中で亡くなった人を土に埋めるのか』と思うと、つらかった」と振り返る。
宮城県では全国最多の9544人(関連死を除く)が亡くなった。
震災翌日から県に要望が相次いだ
県には震災翌日から「遺体安置所がいっぱいになった」「棺が足りない。用意してほしい」「ドライアイスがほしい」と、沿岸市町の要望が相次いだ。竹内直人・県警本部長(当時)は5日後の2011年3月16日、県災害対策本部で「おびただしい数のご遺体があり、保管が日増しに問題になっている」と報告した。
写真説明:安置所には次々に遺体が運び込まれ、混乱。入り口には、犠牲者の情報が張り出された(画像は一部修整しています)
火葬場の稼働状況
県内の火葬場27か所のうち、7か所は被災するなどして稼働できなかった。残りの火葬能力は燃料不足もあって1日50体程度と通常の4分の1で、遺体の数に追いつかなかった。搬送する車やガソリンも足りなかった。
阪神大震災後の教訓はいかされなかった
あまりに多くの犠牲者が出た場合、どうするのか。6434人の死者が出た阪神大震災(1995年)で議論になっていた。
神戸市では4500人以上が亡くなり、800体以上が兵庫県外で火葬された。自衛隊による搬送だけでは間に合わず、うち500体以上は遺族が葬儀業者などを通じて自力で搬送した。
この経験から国は1997年、災害時に近隣自治体に搬送する「広域火葬計画」を策定するよう都道府県に求めた。しかし、東日本大震災発生時、岩手、宮城、福島の3県を含む38道府県は策定していなかった。宮城県の担当者は「広域火葬が必要なほどの犠牲を想定していなかった」という。