3.11福島 悲鳴の先に原発の映像があった

雲一つない青空で日差しは穏やかだった

屋外の駐車場に出てみると、様子は何も変わっていなかった。雲一つない青空の下、ぽかぽかと穏やかな日差しに包まれた春間近の午後。駐車場脇の花壇では、小学生たちが日なたぼっこをしながらゲーム機で遊び、まだ爆発事故を知らない後輩記者2人が並んで原稿を書いていた。穏やかな風景からは、いま目と鼻の先で歴史的大事故が起きているとは思えなかった。

駐車場の片隅に、爆発の映像を一緒に見ていた高齢男性が立っていることに気付いた。白髪交じりの短髪で細身、ジャンパー姿。目を細め、原発と自宅のある東の方角の空をじっと眺めていた。

写真説明:福島第一原発正門のすぐ手前の道路。大きく崩れ、揺れの激しさを物語っていた(福島県大熊町で2011年3月12日撮影)

体育館では、後輩の記者5人に「どんな状況で被災し、どうやって逃げてきたか」「家族の安否は」を取材するよう指示した。日頃から事件取材で鍛えられている連中だが、足取りは重かった。避難所の重苦しい雰囲気に気おされていた。

地震発生から丸一日。館内は静まり、疲れと不安とため息が充満していた。肩から毛布をかぶり、乳飲み子を抱えて床にうずくまる若い母親。敷布団代わりの体育用マットレスに横たわる高齢者夫婦。自宅から慌てて飛び出してきたのか、ジャージー姿など着のみ着のまま。玄関に並ぶ数十足の靴も、草履やサンダルが目立つ。

携帯電話がつながらない中、それでも安否不明の家族と連絡を取ろうと、携帯の操作を繰り返す姿があちこちに。大人たちとは対照的に、子どもたちは追い掛けっこに夢中だ。

壁にメモ「家族4人を探してます」

壁には、避難者の名前を書き込んだ紙が張り出されていた。伝言板もあり、数十枚のメモに「家族4人を探してます」などと書き込まれていた。幼い子どもの文字もあった。新たなメモが追加されるたびに人垣ができた。

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