物言わぬ語り部 津波で全壊した中学校校舎から

写真説明:許可を得て足を踏み入れた岩手県陸前高田市の旧気仙中学校

立ち入り禁止の全壊中学校

岩手県陸前高田市の旧気仙中学校は、東日本大震災で屋上に達する14・2mもの津波に襲われた。気仙川の河口のそばにある3階建ての校舎は全壊したが、生徒と教職員は高台に避難したため全員無事だった。一般の立ち入りが禁止されている校内に許可を得て足を踏み入れた。「あの日」の姿が今でも残っていた。

3階の音楽室は、泥をかぶった机や椅子が散乱する。廊下の一部は流されてきたがれきにふさがれ、乾いた土砂にまみれた教科書が落ちていた。黒板には「三月十一日」と書かれたチョークの跡がうっすらと残り、職員室の時計は地震発生時刻の「2時46分」で止まっていた。

当時中学1年の野球部員だった小野田未樹さん(22)は、「立っていられないほどの大きな揺れだった。波がサーッと海の方に引いていく様子が見え、間違いなく津波が来ると思った。ひたすら坂道を駆け上がった」と振り返る。

震災遺構として公開予定

同市は、この校舎を改修して、内部を見学できる震災遺構として整備する。2021年の公開を目指し、2020年9月から本格的な工事が始まる。「旧道の駅高田松原(タピック45)」、「下宿定住促進住宅」、「奇跡の一本松」、「陸前高田ユースホステル」もすでに震災遺構として保存されている。

同市で交流事業を展開する一般社団法人「マルゴト陸前高田」は、「物言わぬ語り部」であるこうした震災遺構を巡るツアーを行っている。

自分のことを考えるきっかけに

ガイドを務める理事の古谷恵一さん(32)は、「テレビの映像や文字では伝わらない被災の現場がここにはある。災害が起きた時、どうすればいいのか自分のこととして考えるきっかけにつながれば」と語った。

■津波で全壊した陸前高田市の旧気仙中学校

写真説明: 2階の窓枠の向こうに、復興の象徴「奇跡の一本松」=画面中央、その右隣にユースホステル=同右が見えた。東日本大震災による大津波で同市は約1800人もの死者・行方不明者を出す甚大な被害を受けた(写真はすべて岩手県陸前高田市で)

写真説明:校舎の屋上には、14・2mもの津波が到達したことを示す看板が設置されている。教室内や校舎のバルコニーには震災当時から手つかずのがれきが、いまだに多く残されている。

写真説明:旧気仙中(奥)から避難した当時を振り返る小野田さん。「教室から見える高田松原越しの輝く海が好きでした。内部公開されたら必ず行きます。あこがれの先輩から譲り受けた大切なキャッチャーミットがどこかに残っているかもしれないから」

■現在の陸前高田市の沿岸部(本社機から)

■14・5mの津波に襲われた「旧道の駅高田松原(タピック45)」

写真説明:震災当時、建物の外にある階段を駆け上がり、最上部付近で3人が難を逃れた。見学通路の整備など改修工事が行われ、内部が公開される予定だ。

■夕闇に浮かび上がる「下宿定住促進住宅」

写真説明:津波が5階の床上まで達し、4階から下が大きく損壊した。

(読売新聞 2020年9月7日掲載 いずれも2020年6月19日~8月20日に撮影 写真部・伊藤紘二、上甲鉄)

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