写真説明:宮城県気仙沼市の「東日本大震災遺構・伝承館」で震災の教訓を語る佐藤健一さん
一時避難場所の高台で大勢が津波にのまれた
約60人が津波にのまれた高台を一時避難場所にしたのは私です――。2011年の東日本大震災の時、宮城県気仙沼市の危機管理課長だった佐藤健一さんは語り続けている。過去の津波から「高台は大丈夫」と思い込んでいた。「過去には」「想定では」という発想では、命を守れない。2021年春、思いを伝えるため、高台を望む伝承施設の館長に就任した。
高台は伝承館から見えるところにある
海のそばに立ち、津波で被災した高校校舎を活用した「東日本大震災遺構・伝承館」(気仙沼市)から1km先に見えるのが、杉ノ下地区の高台。市指定の避難場所105か所のうち、犠牲者が出た唯一の場所だ。
「海抜11mの高台に押し寄せた津波は高さ14m。複数の方向から来た波はぶつかり合い高さを増しました」。佐藤さんは来館者に身ぶり手ぶりを交え説明する。
写真説明:気仙沼市の指定避難場所だった杉ノ下地区の高台(中央)(2016年1月)
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