熊野の奇岩「橋杭岩」と「津波石」は南海トラフ地震の教材! 

写真説明:和歌山・熊野地方の主な奇岩・巨岩など

和歌山県内には全国的に有名な奇岩や巨岩が多く、地域の観光資源や信仰の対象にもなっている。そうした観光名所の奇岩を、住民の防災意識の向上に役立てようと取り組む研究者がいる。国立研究開発法人・産業技術総合研究所の宍倉(ししくら)正展さんだ。

奇岩や石を研究してわかってきたこと

和歌山県串本町の国天然記念物・橋杭(はしぐい)岩とその周辺に転がる無数の石に関する研究を長年続けている。周辺の石は、過去の津波で崩れた橋杭岩のかけらとされ、「津波石」とも呼ばれる。「津波の威力や防災の重要性を今に伝えている」と語る。

写真説明:橋杭岩(奥)の周辺に散らばる「津波石」(和歌山県串本町で)

津波石は橋杭岩の一部だった?

津波石は1000個以上あり、大きなものは直径2m超、100t超にもなる。橋杭岩と同じ火成岩で、元は橋杭岩の一部だった可能性が高いとされる。崩れ落ちた原因として有力視されるのが、この地域で過去に繰り返し発生してきた南海トラフ地震だ。

宍倉さんは、地震の研究で現地を訪れた際に津波石に興味を持ち、2006年から研究を始めた。着目したのは、石の表面に残る海洋生物「ヤッコカンザシ」の痕跡だった。

ヤッコカンザシの痕跡から…

この生物は、満潮時には水面より下になり、干潮時には水面より上となる場所に貼り付いて暮らす性質がある。基本的に動かず、痕跡もそのような場所に残る。

だが、宍倉さんらのグループが、痕跡の残る津波石13個を調べたところ、すべての痕跡が満潮時の水面よりも上の場所にあった。この生物の性質と矛盾するため、「元々は生息に適した場所だったのに、津波の影響で石が動いて環境が変わり、生き残れなくなった証拠」と考え、痕跡に含まれる炭素を調べる方法で年代を特定した。

特定できた年代は

その結果、10個は、史上最大規模の津波が起こったとされる1707年の宝永地震と時期がおおむね一致。3個は12~14世紀で、1099年の康和地震か1361年の正平地震、またはその間に、古文書には記載がない未知の地震が起きた可能性も考えられるという。「津波の威力は、重い石を動かすほどすさまじいことを物語っている」と強調する。

現在は、現地に残る津波堆積(たいせき)物の調査も進めている。津波石の研究と合わせて、過去の津波の規模などを明らかにし、近い将来起こるとされる南海トラフ巨大地震への備えに役立てることを目指す。

津波の痕跡をいまに生かす

研究成果は、地域住民や学生向けの講演でも伝えてきた。「地震や津波の仕組みと歴史を理解し、防災意識を高めてもらうきっかけになれば」との思いからだ。

写真説明:宍倉正展さん(提供写真)

研究で橋杭岩を訪れた際、干潮時に周辺を歩くと、潮だまりの水面に青空が映る。その景色がきれいで気に入っている。「観光名所として素晴らしいのはもちろん、防災面でも絶好の教材。景色を楽しみつつ、津波石にも目を向けて、地震や津波への備えの大切さをかみしめてほしい」と願う。

(読売新聞 2021年6月25日掲載 和歌山支局橋本通信部・大田魁人)

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