大火砕流から30年 雲仙岳災害記念館に元観測所長の執務室再現

写真説明:1990年に198年ぶりに噴火した雲仙・普賢岳。大火砕流発生後も噴火活動が続いた(1991年6月28日午後8時15分から15分間露光)

九大島原地震火山観測所で噴火災害に対応

43人が犠牲となった長崎県の雲仙・普賢岳の噴火災害で、災害対応の中心的な役割を担った九州大学島原地震火山観測所(現・九州大学地震火山観測研究センター)元所長の太田一也・同大名誉教授の執務室が9月、同県島原市の雲仙岳災害記念館に再現された。大火砕流から30年を迎え、災害の歴史と教訓を後世に伝えていく。

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観測所長就任4年後に198年ぶりの噴火が起きた

普賢岳は、太田さんが観測所長に就任して4年後の1990年11月、198年ぶりに噴火し、翌1991年6月には大火砕流が発生した。

写真説明:雲仙普賢岳で発生した大火砕流(長崎県深江町で、1991年年6月3日午後4時8分撮影)

写真説明:火砕流にのみ込まれ炎上する住宅と火山灰に覆われた田畑(長崎県島原市で、1991年6月3日午後4時30分撮影)

太田さんは避難勧告や警戒区域の設定に関わり、火砕流や土石流発生時の対応なども行政機関に提言した。1998年の退官後は講演や執筆を通じて、現場での危機感が共有されず、避難勧告の対象区域内で犠牲者を出してしまったことなど、災害の教訓を伝えている。

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