1・17の記憶 激震で阪神高速の路面が波打って目の前から消えた

大震災の当事者として

震災後、当事者として体験談を語る機会が増えた。これまで災害は縁遠いものだったが、「一度は死を覚悟した」という体験を経て、被災者の恐怖や不安に思いをはせるようになった。

2011年の東日本大震災や2016年の熊本地震では、会社の上司に頼み込み、同僚らとバスで被災地に出向いた。被災者と触れ合う機会はなかったが、がれきの撤去やゴミの運搬など、できる限りの支援に汗を流した。「阪神大震災を機に、被災地に寄り添いたいという気持ちが強くなった」

バスの運転手として

当時と同じ京都支店で、バスの運転手を続ける。阪神高速を走行するたび、激しい揺れの記憶が今でもよみがえる。「また地震があったら、今度は助からへんかもな」。そんな不安がよぎることもある。

写真説明:現役で観光バスの運転手を続ける安井さん。今も運転中に壮絶な体験を思い出すことがある(2021年5月31日、京都府長岡京市で)

それでも、無事だったからこそ語り継げることがあると感じる。最近、バスの存在を知らない若者も増えた。「震災を知ってもらうのに、少しでも役に立てたら」。いつでも体験談を話せるよう、スマートフォンの待ち受け画面は、あのとき撮影したバスの写真だ。

(読売新聞 2021年6月17日掲載 神戸総局・石見江莉加)

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