津波75年たっても忘れない!昭和南海地震経験者が語る津波への備え

(高知県須崎市提供)

津波から命を守るための避難方法と避難場所

高知県沿岸部に甚大な津波被害を引き起こした昭和南海地震(1946年)から75年。昭和南海地震は、1946年12月21日午前4時19分に発生。震源は和歌山県南方沖でマグニチュード(M)8・0。1443人が死亡・行方不明になった。

高知県内では高知市などで震度5。死者・行方不明者は679人、負傷者は1836人に及んだ。沿岸部に4~6mの津波が押し寄せ、家屋4846戸が全壊・流失した。地震や津波の体験者が高齢化するなか、当時の教訓をどう伝え、南海トラフ地震に備えるのか。減災への思いと、その取り組みを追った。

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1946年12月21日午前4時19分地震発生

普通の地震とは違うとすぐに感じた。それほど揺れが激しく、長かった。高知県須崎市新町(当時・須崎町)の高橋冨男さん(92)は、自宅で目を覚ますと布団をかぶって揺れをやり過ごし、家を飛び出した。近所の人も通りに集まってきた。

津波はすぐに来た!

「津波だ。津波がくるぞ」。遠くで男性の大声が聞こえた。リアス式海岸の須崎港は度々、津波に見舞われた。江戸時代の宝永地震(1707年)、安政南海地震(1854年)……。普段は静かな天然の良港が、湾奥に向かうにつれ嵩(かさ)を増してうねり、多くの犠牲を強いてきた。

高橋さんの自宅は海岸から約200m。地域の人は津波に敏感だった。「津波は見えてから逃げても遅い」。そんな言い伝えが男性の声と重なり、祖父母、父母らと近くの城山に大急ぎで避難した。

避難してから

暗くて辺りの様子がわからないまま、約3時間、城山で過ごした。夜が明けて自宅に戻ると、水は引いていたが、製材所の木材が散乱し、床上で魚が跳ねた。自分の背丈とほぼ同じ高さまで水が来たのか、壁に跡があった。前の通りには船が転がっていた。

写真説明:昭和南海地震で須崎湾に押し寄せた津波=須崎市提供

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