頼れる存在!災害派遣医療チーム(DMAT)を徹底取材

転換点は東日本大震災だった

当初は初期の外傷治療を主な活動としていたが、転換点となったのは2011年の東日本大震災だ。東北の広い範囲で医療機関が被災して「医療空白」が生じ、避難中に持病が悪化する人や感染症にかかる人が相次いだ。病院への救援物資の搬送手配などの後方支援や、隊員の移動手段の確保も課題になった。

写真説明:負傷者を都内の病院に搬送するDMATの隊員ら(2011年3月13日、東京・羽田空港で)

後方支援や関係団体との連携も

この教訓から、被災者の健康管理を任務に加え、地域医療を支援するためのノウハウを学ぶ研修を強化。2014年度には後方支援を担うチームを創設し、災害時にトラックやレンタカーなどを使えるよう関係団体・企業と協定も結んだ。

その結果、2016年の熊本地震では幅広い医療ニーズに対応し、後方支援もうまく機能したが、要介護の高齢者らをケアする保健師との連携不足もみられた。そこで災害時には都道府県庁に医療と保健を調整する本部を置き、DMATも指揮下に入ることになった。

◆DMATの主な活動歴



写真説明:新型コロナウイルスの集団感染が起きたクルーズ船でも活動したDMAT(厚生労働省DMAT事務局提供)

起こりうる南海トラフ地震に対して

近い将来起きるとされる南海トラフ地震では、最大52万人以上の負傷者が想定される。小井土雄一・厚労省DMAT事務局長は「DMATの支援が必要となる県の数は10に上るが、DMATを取り仕切るエキスパートが不足している」と話す。人材育成を急ぎつつ、司令塔となるDMAT事務局を、現在の東京と大阪に加え、四国などにも配置したい考えだ。

無断転載禁止

この記事をシェアする

オススメ記事

新着記事

公式SNS