避難訓練は住民総出!宮城・山元町の津波浸水地域で続けること

写真説明:宮城県南部沿岸部にある山元町(2021年5月撮影)

宮城県山元町 花釜行政区長 渡辺博孝さん

宮城県山元町花釜地区は津波で全域が浸水しました。世帯数は震災前の4割になりましたが、今なお1000人近くが暮らします。平らな土地が広がるため、車での避難が必要になります。震災後は毎年、町の防災訓練に合わせて住民主体の訓練を続けています。車を持たない高齢者世帯には近所で声をかけ合うなどの約束事も決めました。

震災から11年が経過し、コロナ禍で一昨年から大がかりな訓練ができない中、2022年3月の福島県沖地震で避難した住民が少なかったことに危機感を抱いています。

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東日本大震災当時

震災時は、東京の測量会社の社長をしていました。生まれ故郷の花釜にいる親戚とは連絡がつながらず、3、4日してようやく無事が確認できました。半月後、荷台に水や作業服などの物資を詰めて故郷を目指しました。

電柱はなぎ倒され、田んぼには数百台の車が転がっていました。海の力におののきました。ひしめき合っていた住宅街も歯抜けのようになり、沿岸の防潮林や住宅を囲う屋敷林「居久根」も失われました。震災を機に故郷に戻る決心をしました。

写真説明:甚大な被害を受けた宮城県山元町の沿岸部(2011年3月24日撮影)

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