日本の防災研究は地震観測技術と共に進化した

観測データから被害軽減へ。将来の脅威に備え今も続く

10万人以上の死者・行方不明者を出した関東大震災から99年が経過した。たびたび震災に見舞われてきた日本は、観測技術を進化させることで、地震という自然現象の理解を深め、被害の軽減につなげてきた。南海トラフ地震など近い将来の脅威に備えるため、今も海底観測網の整備などが進められている。

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日本発「常時観測できる」地震計

日本周辺は、世界で起きるM6以上の大地震の約2割が集中する地震の巣だ。近代的な観測が日本で始まったのは1870年代。主に欧州で開発された装置が気象台などで使われたが、揺れを感知しないと作動しない代物だった。

そんななか、揺れをもたらす地震波を常時観測できる地震計を世界で初めて開発し、「地震学の父」と呼ばれたのが、東京大教授を務めた大森房吉(1868~1923年)だ。1898年頃に発明した「大森式地震計」(=下図)は、高さ、幅とも約2mある巨大なもので、今も東京大地震研究所で保存されている。2011年の東日本大震災でも、到達する地震波を刻んだ。

1.日本の地震学の始まり

震源から出る弱い地震波「P波」(初期微動)と、強い揺れをもたらす「S波」(主要動)の到達時間の差をもとに、震源までの距離を求める「大森公式」を提唱するなど、大森は地震観測の礎を築いた。

地震研の佐竹健治所長は「大森らの功績で地震のための研究体制が構築され、地震研は100年以上にわたる観測の保管庫にもなった」と語る。

阪神大震災で見えた課題

全国的な観測網の整備のきっかけとなったのが、国内で初めて震度7を観測した1995年の阪神大震災だ。この震災では、地震計の設置間隔がまちまちで、震度7の激しい揺れの地域を観測だけでは特定できないなどの課題が浮き彫りになった。

これを受け、気象庁や国の防災科学技術研究所は地震の観測点を一定間隔で設けることにした。震度を測れる地震計は、震災前の約150か所から4000か所以上にまで拡充した。

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