【動画配信中】磯田道史さんらが語った「道路から考える新時代の防災・減災」

災害時の道路の役割などを議論する座談会「道路から考える新時代の防災・減災―激甚化する自然災害に備えて―」(読売新聞社主催、国土交通省関東地方整備局後援)が東京都内で開かれた。読売新聞が運営する防災情報サイト「防災ニッポン」の企画として行われ、今年9月で関東大震災から100年となることを踏まえ、3人の識者が首都直下地震への備えについて意見を交わした。

→動画をご覧になった方は、ご意見をお聞かせください

(座談会出席者)
◇国土技術研究センター理事長 徳山日出男氏
◇歴史学者 磯田道史みちふみ
◇国土交通省 関東地方整備局長 廣瀬昌由まさよし

災害激甚化…避難行動を「型」に

徳山日出男氏 まず、近年相次ぐ災害への受け止めを聞きたい。
廣瀬昌由氏 地球温暖化の影響を実感する。2019年の東日本台風、2018年の西日本豪雨では、列島全体が大きな被害に見舞われた。
首都直下地震や南海トラフ地震の発生リスクも抱え、日本全体が自然災害に総合力で対応する必要性を強く感じている。


国土交通省 関東地方整備局長 廣瀬昌由氏

徳山氏 災害対策はハード中心に考えられてきたが、それだけでは守り切れない。
磯田道史氏 江戸時代までの災害対策は、土木技術の限界もあり、「やられる」ことを前提にダメージコントロールする発想だった。
だから、どこが被害に遭いやすいのかという教訓の伝承、警鐘を鳴らす石碑などが大事にされてきた。
今日も似たところがある。自然の力が温暖化により大きくなる一方、巨大インフラで対応するには予算が限られてきた。ソフト対策で守っていかざるを得ない面が出てきている。
徳山氏 ソフト対策で難しいのは、避難を呼びかけても、実際に避難する人が少ないことだ。災害の知識は持っているが、自分は大丈夫だと思っている。「自分事じぶんごと化」できないから行動に結びつかない。被害に遭ってから「まさか自分がこんな目に遭うとは」となる。
磯田氏 これには避難行動を「型」にするしかないと考えている。津波避難が必要な地域では「地震で揺れたら片付けより先に、山に上がる」などパターン化しておくことが大切だ。
廣瀬氏 新潟県村上市では昨年8月の豪雨の際、羽越豪雨(1967年)を経験した年配の地区役員の方が、公民館に避難した人たちに「もっと高い所に避難しろ」と呼びかけ、高台の住宅などに「再避難」して被害を防いだ。
東日本大震災の時、岩手県釜石市では小中学生が避難訓練を生かし、率先して高い所へ逃げて助かった。経験の継承と、防災教育を進めることが命を救うことにつながる。


国土技術研究センター理事長 徳山日出男氏

関東大震災100年…まず「命を守る」

徳山氏 1923年(大正12年)の関東大震災から100年の節目にあたって、首都圏を襲う地震について考えたい。
廣瀬氏 二つのタイプがあり、一つは、海底プレートを震源とする「海溝型地震」だ。関東大震災はこのタイプで、揺れによる被害も大きかったが、相模湾では津波による犠牲者も出た。
一方、次に来ると想定されている首都直下地震は、内陸が震源となる「直下型地震」だ。津波による被害は予想されていないが、海溝型に比べて突然大きく揺れ、逃げるためのリードタイムがない。発生確率は今後30年間で70%とされる。

徳山氏 関東大震災では死者の87%が焼死だった。ただ、あの頃とは時代が変わり、同じような被害だと思い込まないことが大切だ。
磯田氏 乗り物に乗っている時に被災する人の数は、大正時代に比べ激増するはずだ。通勤ラッシュの時間に起きればなおさらで、高速で走る鉄道、自動車の安全対策が被害の大きさに関わる。
廣瀬氏 圧倒的に人口が増えたことに加え、都内を流れる荒川の流路も当時と変わった。高層ビルも建ち、交通網も発達するなど新しいまちの形で迎える初めての大地震になる。
徳山氏 リードタイムが短い地震では、まず最初の20秒間、命を守ることが大事になる。いきなり大きな揺れが来るので、「タンスから離れよう」という間もない。そこは意外に知られていない点だ。
磯田氏 子どもへの防災教育では、普段から「もし何々ならば……」と考えさせることが重要だ。「詮議」と呼ばれ、江戸時代に薩摩藩が教育として取り入れていた。それが西郷隆盛ら幕末の志士の活躍につながったと言われる。
もし震度7で揺られたら、教室はどうなるか。先生が頭を打って倒れるかもしれない。けがをした子を助けながらの避難になるかもしれない。話し合っておけば、だいぶ違うと思う。


歴史学者 磯田道史氏

秀吉の野望…道確保へ「八方向作戦」

徳山氏 私は東日本大震災の時に東北地方整備局長だった。最初の数日間の最大の課題は、救援のために道を開ける「道路啓開」だったが、関東地方整備局はどう備えているのか。
廣瀬氏 首都直下に備えては「八方向作戦」というのがある。中央道、東北道など各方面から都心へのルート確保を試みる想定で、発生から48時間以内に最低1ルートは完了することを目標としている。
14年の災害対策基本法改正で、緊急車両の通行の妨げになる放置車両は撤去できるようになった。ドライバーの協力を得つつ、必要な場合は建設業界と連携して重機などで動かし、素早く道を開けることが大事になる。
磯田氏 歴史家の目からみると、八方向作戦は感慨深い。豊臣秀吉が、徳川家康に江戸に城を構えるよう命じたのは、大陸出兵を考えていたからだ。江戸・東京は関東一円の物資を集めやすい位置にある。その秀吉の野望が、今の備えにつながっている。

廣瀬氏 橋の老朽化も大きな課題だ。管内の国道には3,000以上の橋があるが、10年後には半分ぐらいが築50年を過ぎる。橋の耐震化に加えて、老朽化対策も進めなければならない。
さらに、一部道路が使えない時に備え、荒川などで船を使って物資を運ぶことも考えられるのではないか。
徳山氏 関東大震災から大きな節目となる今年は、防災について考える一つのきっかけだ。
一方で、東日本大震災は3月で12年になる。亡くなった方々の十三回忌に当たるので、今後さらに風化が進むのではと危惧している。
今回の議論が、改めて災害リスクを自分事化する機会になればありがたい。

役立つ情報 届け続ける

◇「防災ニッポン」編集長・針原陽子
江戸後期、水戸藩の儒学者藤田東湖は、安政江戸地震の際、火鉢の火を消そうと藩邸に戻った母を助けて圧死した。一方、その前年に起きた伊賀上野地震で、藤堂藩(三重県)の儒学者猪飼敬所いかいけいしょ一家は、発災時の行動をあらかじめ決め、素早く逃げて間一髪生き延びたという。
「事前に家族で地震時にどうするか話し合っているかで生死が分かれる」。著書「天災から日本史を読みなおす 先人に学ぶ防災」でこの史実を取り上げた磯田さんはそう解説する。さらに「『起きて困ることは考えたくない』という性質が、この列島に住む人たちに強くある」とも指摘する。
2022年に行われた内閣府の調査では、大地震に備えて家具・家電などを固定している人は35.9%。その中でも「ほぼすべての家具・家電を固定している」のは8.9%にとどまる。
1995年の阪神大震災では、倒壊した家屋や家具などの下敷きになって亡くなった人は、地震による「直接死」の約8割を占めるとされる。関東で次に起こると目されるのは阪神と同じ直下型地震だ。知っていることと、「自分事」と捉えて自室の家具を固定することとは距離がある。私自身、寝室のタンスの転倒防止策を最近講じたため、あまり人のことは言えない。
磯田さんは、座談会で江戸時代の薩摩藩の教育を例にして、「もしも今、こんな災害が起きたら」と、仮の設定を置いて学校で話し合う訓練を提案した。子どもが学ぶことで大人も考えざるを得なくなるという期待がある。
今年9月は関東大震災から100年。そして、まもなく3月11日を迎える。防災を「自分事」にしてもらうにはどうすればいいのか。「防災ニッポン」としても模索しつつ、役立つ情報を提供していきたい。

無断転載禁止

この記事をシェアする

オススメ記事

新着記事

公式SNS